江戸時代の集落からは、掘立柱建物や石場建ての建物が発見されます。主体は掘立柱建物跡で、18世紀後半以降に普及したとされる石場建ての建物はそれほど多く見つかっていません。県域で発見された掘立柱建物の規模は様々で、大きいものは100㎡を超えていますが、50m2以下が半数以上を占めています。建物の規模は時代が下るにつれて大きくなる傾向が見られます。掘立柱建物の屋根は草葺や板葺であったと思われます。
ピット群
横浜市戸塚区の原宿交差点付近に所在する原宿町遺跡で発見された掘立柱建物です。江戸時代、この辺りは原宿村と呼ばれる総戸数50戸ほどの農村でしたが、東海道が村の中央を通り、宿場町である戸塚と藤沢の中間に位置していたため「間の宿(あいのしゅく)」としての役割を果たしていました。街道沿いの家は道路に面して建てられていて、地所は奥に向かって細長く短冊状にのびていることが多いようです。
掘立柱建物址
原宿町遺跡で発見された土蔵の基礎です。土蔵は木造建築の外壁を土壁として漆喰を塗りこめて壁を厚くした耐火建物で、江戸時代後期以降に普及しました。この土蔵の平面形態は長方形を呈していて、規模は長径5.6m、短径3.7mを測ります。外壁にあたる部分には長さ60㎝、幅33㎝、厚さ15㎝程度の切石(根石)が隙間無く並べられていました。
蔵
土蔵は壁体が重いため、沈下を防ぐために根石の下は溝状に掘られた布基礎となっていました。溝の中には5~20センチほどの礫が多量詰められ、隙間を土で埋めて突き固めているのが確認されました。本遺構の年代は布基礎部分から出土した遺物から19世紀中葉以降と考えられます。
蔵基礎