近代の遺跡は、幕末・明治維新の前後から第二次世界大戦の集結頃までの遺跡を対象としています。
開港以降、横浜は世界の玄関として重要な役割を担う貿易港となっています。1859年の開港に伴い外国人居留地が山下(関内)及び山手に建設されました。横浜市中区山下居留地遺跡の調査は、その中心部における初の本格的な発掘が行われ、外国商館と旧街路などが発見されています。
横浜市中区 山下居留地遺跡空中写真
丹沢山地は、横浜外国人居留地遊歩区域の限界にあたり、外国人の避暑地として利用されていました。清川村宮ヶ瀬遺跡群北原遺跡で確認された長福寺跡は、外国人が宿泊しており、西洋遺物が多く出土しています。また海防砲台である横浜市神奈川区の神奈川台場や、軍港として発展した横須賀製鉄所など、県内には近代化の足跡が多く残されています。郊外の海老名市河原口坊中遺跡では、江戸時代創業の造り酒屋の酒造施設が発見されるなど、近代遺跡の調査と研究は進展しています。
横浜市中区 山下居留地遺跡 調査状況