近世の墓

 江戸時代になると寺請制度に支えられて多数の寺院が建立され、寺院に付属する寺院墓が普及し、遺体はお寺に埋葬されることが多くなりました。また、戒名がつけられ墓標を建てることが一般化しました。相模原市小保戸遺跡では、寺院の移転に伴って改葬された墓域の調査が行われ、多数の墓坑(遺体を埋葬するための穴)や墓石が発見されました。墓域の広さには限りがあり同じ場所へ埋葬したため、重複する例が多く認められました。

墓坑群
墓坑群

 江戸時代の埋葬方法は土葬が主流でした。遺体は折り曲げて座らせた状態(座葬)で木棺や早桶などに納められました。遺体と一緒に六道銭や被葬者が生前愛用していた品物を入れることもありました。墓坑の平面形態は棺の形に合わせて掘られるため、方形または円形が主体を占めています。棺は土中で腐ってしまうため、発掘調査では人骨だけが見つかることがほとんどですが、棺を組み立てる時に使用されたと思われる釘が出土することもあります。

埋葬状況
埋葬状況

 墓石は戒名や亡くなった年号などを刻んだ墓標、花立てや水鉢がついた台石、地面に接する部分に置く芝石に分類できます。写真手前の中央に穴があいているのが芝石、中央の仏像が彫られているのが墓標、奥に3つ並んでいるのが台石です。小保戸遺跡で見つかった墓石の多くは七沢石と呼ばれる厚木を中心とした地域に分布している凝灰岩で作られていました。墓標に刻まれた年号のうち、最も古いのは天和三年(1683)でした。

墓石
墓石

 墓標は年代によって形が変わりました。中央の船形を呈し仏像が彫られたものが古く、その両側の立方体を呈し正面を額仕上げとしているものが新しい墓標です。仏像が彫られた墓標には仏像の両脇に戒名と没年が刻まれていますが、右側の直方体を呈するものは正面に二名の戒名が並立して記され、左右側面にそれぞれの没年が彫られています。これは墓が個人墓から家族墓へ変化したことを示していると考えられます。

墓標
墓標

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