社家宇治山遺跡は、相模原左岸の自然堤防上に立地し、遺跡の東側には後背湿地が広がっています。弥生時代後期から古墳時代中期にかけて、竪穴住居址163軒、古墳4基、方形周溝墓48基などが発見されており、低湿地における集落域と墓域を考える上で良好な遺跡です。また、県内4例目となる玉造工房址も発見されています。この玉造工房址には、緑色凝灰岩原石の荒割を埋納した竪穴住居址と、実際に管玉を製作していた2種類の竪穴住居址が見つかっています。
集落の構造を見ると、南側は方形周溝墓を中心とした墓域、北側では玉造工房をはじめとした集落地域が展開しており、弥生時代後期から古墳時代中期にかけての集落の土地利用、ひいては相模川の低地利用の一端が垣間見られます。