遺跡間石器接合-吉岡遺跡群B区と用田鳥居前遺跡-
遺跡間石器接合とは綾瀬市の吉岡遺跡群B区と藤沢市の用田鳥居前遺跡という2つの異なる遺跡でともに約23,000年前に遡る地層から出土した石器が接合したということです。2つの遺跡から出土した石器が接合するという例は県外でも確認されていましたが、吉岡遺跡群B区と用田鳥居前遺跡における遺跡間石器接合は遺跡間の距離が約2kmに及ぶとともに当時の人々の移動生活の様子を示す貴重な資料であることから平成16年2月10日に神奈川県指定重要文化財に指定されました。
吉岡遺跡群B区と用田鳥居前遺跡の位置(左)と両遺跡の石器集中(右)
吉岡遺跡群B区は綾瀬市、用田鳥居前遺跡は藤沢市と遺跡の所在する市は異なりますが、両遺跡はともに高座丘陵西端の目久尻川左岸で発見されました。石器がまとまって出土した標高は、吉岡遺跡群B区では約36m、用田鳥居前遺跡では約24mです。吉岡遺跡群B区では石器集中で遺跡間接合石器が確認されました。石器集中というのは径数mの石器の分布のまとまりのことです。その石器集中の石器は723点を数えます。吉岡では石器集中が、2~3ヶ所の密集部から構成されています。
吉岡遺跡群B区の石器集中(北西から)
用田鳥居前遺跡で遺跡間接合石器が確認された石器集中からは石器が43点出土しました。この石器集中のすぐ西には大型の炭化した針葉樹も発見されました。
用田鳥居前遺跡の石器集中(北西から)
吉岡の石器集中は径約10mの広がりがあり、その石器に用いられた石材の種類が豊富です。地元で採取された硬質細粒凝灰岩が多く、ホルンフェルス、珪質岩などがあり、地元での採取が比較的困難なチャート・珪質頁岩や遠方から採取された碧玉(黄玉石)・硬質頁岩・黒曜石などもあります。なお石器の接合は全ての石材で確認されています。用田鳥居前の石器集中では径約4mの広がりに石器が散漫と分布し、石器の数量も少なく、石器や石器に用いられた石材は吉岡の石器集中と同じ硬質細粒凝灰岩、珪質頁岩、碧玉(黄玉石)などがありますが、吉岡の石器集中よりも多様ではありません。
遺跡間接合資料の接合状態
両遺跡の石器集中間で接合が確認された石器の石材は、吉岡のナイフ形石器1点・石核2点・剥片類99点に用田のナイフ形石器1点・剥片3点が接合した硬質細粒凝灰岩(合計106点)、吉岡のナイフ形石器1点・剥片4点に用田の剥片1点が接合した碧玉(合計6点)、吉岡の剥片1点に用田の彫刻刀形石器1点が接合した珪質頁岩(合計2点)の3石材です。そのうち硬質細粒凝灰岩は、もとの石の塊の約半分の大きさにまで復元されました。このことは吉岡に持ち込んだ石材を吉岡で大々的に石器製作で費やし、その後、用田などに持ち出していったと考えられました。一方、碧玉(黄玉石)と珪質頁岩は、吉岡で石器製作に少しだけ費やした後、用田などで使うために持ち出していったと考えられました。
遺跡間接合資料の石器の石材
両遺跡では石器の数の多い吉岡が当時の生活のための本拠地で、少ない用田が狩猟採集などの作業に伴う野営地であると推定されました。約2km離れた遺跡で3種類の石材からなる石器が接合したということによって、違う遺跡でも互いにつながっているという人々の生活の一部が明らかになりました。
吉岡遺跡群B区[上]から用田鳥居前遺跡[下]に持ち運ばれた石器